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Ways to Live Forever 永久(とわ)に生きるには

イギリス映画 (2010)

白血病の少年を描いた映画。この種の映画は、それなりに多いと思っていたが、実際に調べてみると、エイズ、小児てんかん、血友病などを除くと、癌を加えても、『Oscar and the Lady in Pink(100歳の少年と12通の手紙)』(2009)、『Letters to God(かみさまへのてがみ)』(2010)、『Matching Jack(マッチング・ジャック)』(2010)、『Johnny』(2010)、『Death of a Superhero』(2011)〔日本語の題名、仮題のないものは手元にないもの〕くらいしか見つからなかった。この映画を含め、なぜか 2010年に集中している。この映画の主題は、末期の白血病の少年が、如何に生きがいを見つけるという点にあるので、観ていて悲しいというよりは、むしろ声援を送りたくなる点が、“お涙頂戴とは” とは異なり、ホッとさせられる。主人公のサムは、どうしても知りたい 「誰も答えない質問」を8つ挙げ、何とか解答を見つけようとする。それに加えて、もっと重要なことは、「死ぬまでにやりたいこと」を11個挙げ、順に克服していく。その陰には、同じ病院に入院していて 無二の親友となった1年先輩のフェリックスの助けがあった。真面目なサムは、場合により、“批判的で、冗談が好きで、虚無的” ですらあるフェリックスに振り回されることも多かったが、フェリックスは、サムの真面目さの中に救いを求め、両者は固く結びついていた。映画は、どちらかと言えば、ややコミカルにテンポよく進み、それでもフェリックスの死、その後に訪れるサム本人の死は、実に悲しい。ただ、その2大悲劇を、やや間接的に描くことで、死を覚悟したサムの明るい希望はより鮮明になる。それでも、「Los Angeles Times」のレビューの最後の一文 「You’ll feel like a monster if you don’t cry and a moron if you do〔あなたは、泣かなければモンスター、泣けばバカみたいに感じる〕」が、観終わった感想としてはぴったりだ。

2度目の投薬入院を終え、3度目のない12歳のサム〔再発したら死しかない〕が 退院して家に向かうところから映画は始まる。サムは、それまでも、自宅にいる時は、ウィリスという家庭教師の女性が、“将来がないかもしれない少年” 向きの授業をしていた。病院で友達になった年上のフェリックスが、授業に一緒に参加することになった最初の回、ウィリスが2人に向かって投げかけた質問は、「永久(とわ)に生きるには」だった。上手く答えられない2人に、ウィリスは小説や映画を見せ、芸術は人の心に残るから、何か書いたり撮ったりするようと勧める。今回、家に帰ったサムは、さっそくそれを実行する。しかし、サムが帰宅してがっかりしたことは、父が、“サムは治った” と誤解し、ある意味、特別扱いを止めようとしたこと。その結果が、サムの鼻からの大量出血。病気は治っていなかった。ウィリスは、2人に、「死ぬまでにやりたいこと」を書かせる。サムは、11もの望みを書く。それを見たフェリックスは、望みを叶えてやろうと、失敗したり成功したりして努力する。サムが1人でできることは、サムが出血を覚悟でやってみる。フェリックスが、パブをやっている伯父の娘で、サムより1つ年下のケイリンを紹介したことで、“望み” は急速に叶えられていく。そして、あと2つを残したところで、フェリックスが急逝する。衝撃を受け、急速に病状が悪化したサムを見て、これまで距離を置いてきた父は、後悔し、息子のために全力を尽くそうと決心する。そして、叶いそうにない10番目の望みを、工夫して叶えさせた直後、サムの薬が効かなくなり、サムは治療の停止を決断する。余命は2ヶ月から2週間しか残されていない。11番目の、これも実現不可能に見えた望みを叶えてくれたのは、ケイリンだった。すべてに満足したサムは、それからしばらくして、眠るように息を引き取る。その悲しいシーンを挽回するのは、サムとフェリックスが残した悲しくも楽しいビデオ録画と、ケイリンが最後に果たした素敵な約束だった。

主役のサムを演じるのは、ロビー・ケイ(Robbie Kay)。12歳という設定なのだが、1995年9月13日生まれ。DVDのメイキングにある撮影シーンで、カチンコは、2009年11月5日の撮影となっている(下の写真・左)。ということは15歳。信じられないが、事実なので、彼は、割と幼い顔立ちなのだろう。このサイトで、以前紹介した『Fugitive Pieces(儚(はかな)い光 -彷徨の断章-)』(2007)では、名演技が光っていた(下の写真・右)。残念ながら、ロビーがメインで出演した子役時代の映画はこの2本だけ。サムの友達フェリックスを演じる、かなり年上に見えるAlex Etel(アレックス・エテル)は、1994年9月19日生まれで、ロビーとは1歳しか違わない。彼が主役級で出演した映画は、『Millions(ミリオンズ)』(2004)、『The Water Horse(ウォーター・ホース)』(2007)、『From Time to Time(時から時へ)』(2009)の3本。それらの映像を下に順に示す。3番目の作品は2009年9月に公開されているので、撮影は14歳の時。15歳で撮影したロビーより、ずっと大人ぽく見える。なお、サムにとって天使となるケイリンを演じているのはElla Purnell(エラ・パーネル)。1996年9月17日生まれなので、ロビーより1歳年下。3人の中で一番多くの映画に出演しているが、一番印象深かったのは、『Miss Peregrine's Home for Peculiar Children(ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち)』(2016)に出演した時の、Asa Butterfield(エイサ・バターフィールド)の恋人役。今回のロビーの恋人役と何となく似ている。エイサも、年齢の割に幼く見えるが、この映画の撮影時(2014年8月)には このサイトの年齢制限ぎりぎりの17歳。

あらすじ

映画は、主人公のサムがビデオ録画を始めるところからスタートする。場所はサムの部屋。彼は、ビデオカメラに向かって、「今日は、1月7日。これは、僕の日記の第一号。僕がこのビデオに記録すれば、僕の記憶はいつまでも生き続けるんだ」と話す。ここで、ナレーションが入る。「ビデオ・ブックのアイディアは、僕ではなく、ウィリスさんだった。そして、すべての出来事は、僕が午後に帰宅するずっと前から起きてた」。ここで、“病院” と表示された建物から、サムを乗せた母のミニが出て来る(1枚目の写真)。ミニは1928年に完成したタイン橋を南から北に渡り、ニューカースルの東に向かう。ここで再びビデオ映像。「僕についての5つの事実。1つ。僕の名前はサム。2つ、僕は12歳。3つ、僕は物語と 突拍子もない本当の話を集めるのが趣味。4つ、僕は白血病。5つ、あなたがこれを見る頃には、僕はきっと死んでると思う」。母のミニが家に前の通りに入り、道路で遊んでいた子供達が避けて歩道に上がる(3枚目の写真)。車は、“家” と表示された2階建ての家の門から中に乗り入れる。

車の到着を待っていた家人が、妹の “エラ”、“お祖母ちゃん”、“パパ”の順に玄関から出て来る。エラは兄に抱き着き、父は頭を撫でる(1枚目の写真)。背後では、子供達がボール蹴りを再開している。最後に祖母がサムを抱き、同時に、母が運転席から降りる。家に入った母は、サムをこれまでとは違う部屋に連れて行く。「これが、あなたの新しい部屋よ」(2枚目の写真)「もう、2階に上がらなくていいでしょ」。病院を出てから、新しい部屋に入るまでが、少し過去のシーン。そして、三度目の、“現在” のビデオ映像。「この日記は、いろいろな物語、映像、質問と事実、そして、僕の物語」「僕の髪、これは本物。去年は、薬のせいで抜けちゃったけど、元に戻った。茶髪、明るめの」。サムは、カメラに近寄って目を見せ、「目は緑色」。席に戻ると、シャツをめくり上げ、「痣がたくさんあるよね。僕のせいじゃなく、白血病になると こうなっちゃうんだ」(3枚目の写真)。

次は、サムが日記を書くことになった理由の紹介〔過去の話〕。サムは、白血病で入退院を繰り返してきたので、先に名前が出てきたウィリスという優しいおばさんが、教育を兼ねた話し相手になっている。この過去のある日は、サムが病院で知り合って、仲良しになった1歳年上のフェリックスも一緒に参加している。ウィリスは、黒板に、映画の題名と同じ文字を書くと(1枚目の写真、文字は 背中に半分隠れている)、「この問い掛けは、何世紀にもわたって人々を悩ませてきたの… どうすれは死なず済むか。“永久(とわ)に生きるには?”」。フェリックスは、冗談で、吸血鬼と答える。サムの答えは、至って常識的だが、現段階では実行不可能な方法を口にする。「冷凍してもらい、何百年の間に、癌の治療法と 永遠の生命の秘密が分かった段階で解凍してもらう」。フェリックスは、「バカげてるな」と言い、これも現段階では実行不可能な案を出す。「最も安全は方法は、脳をハードディスクにコピーし、ウィルスに感染しないよう祈りながら、コンピューター上で永遠に生きることさ」(2枚目の写真)。これに対し、ウィリスは、「人類は、永遠に生きることは不可能だと悟りましたが、永遠に残せるものがあるのよ」と言うと、2人に小説を一冊ずつ渡し(3枚目の写真)、「芸術作品」と言う(そのあとで、映画も観せる)。「ウィリスさんは、芸術作品がどのように人々の心に残るかを話した。そして、僕たちも何か書くべきだと言った」。

映画は、現在に戻り、サムが帰宅した日の夕食(1枚目の写真)〔祖母がいないのはなぜ?〕。このシーンは、面白いナレーションから始まる。「妹のエラは7歳。ママは、聖書のサムソンから僕をサムと呼び、パパは、伯母の名をとってエラにした。2人とも、サムとエラ〔Sam ’n Ella〕と続けて発音すると、サルモネラ〔菌〕に聞こえることに気付かなかった」。ここで、そのエラが、「サムは まだ病気?」と母に訊く。母は、「サムは、もう病院には行かない。ずっと家にいるのよ」と答える。「なら、なぜ学校に行かないの?」。自分の運命を悟っているサムは、「僕は、病院や学校に戻らなくていいんだ。どうせ、死ぬから」と言い(2枚目の写真)、それを聞いた父は、皿を持ったまま席を立つ。そして、ナレーションが流れる。「死は、世の中で最も曖昧な現象で、誰も何も知らない。それについて尋ねるようとすると、咳払いして 話題を変えるんだ」。

自分の部屋に戻ったサムは、ビデオカメラに向かって話す。「僕の病気について、幾つか情報をあげるよ。僕は白血病にかかってると言われるけど、僕は、“粒状の回転楕円体の小球〔granular, spheroidal globules〕” を持ってると言いたい」(1枚目の写真)「ジョン・ヒューズ・ベネット〔John Hughes Bennett、1812-75〕って人が白血病を発見した。1850年、顕微鏡で何人かの子供の血液を観たら、粒状の回転楕円体の小球で一杯だったんだ(2枚目の写真、この映画で何度も使われる一種の人形劇)。それは、白血球だったんだけど、当時は誰もそれを知らなかった」。この説明には、一部間違いがある。白血病の発見者の特定は事実上困難。1843年、ベネットは患者の血液を調べ、細胞の核が1つの大きな顆粒〔granule〕、あるいは2つまたは3つの小さな顆粒で構成されていることを示し、1845年に、血液の顕微鏡的評価に基づき、この病気を白血球血症〔leucocythemia〕と呼んだ。1846年、フラー〔Henry William Fuller、1820–73〕は組織学的検査に基づき「白血病」という病気を定義し、関連する症状と対応させた。1847年、フィルヒョウ〔Rudolf Virchow、1821-1902〕は自身のドイツ語で、この病気を白血病〔leukämie〕と呼んだ。同年、チェンバース〔T. K. Chambers、1819-1889〕は大きな脾臓を持つ患者の血液中に、2〜3倍の大きさの血球(多数の粒状の不規則な回転楕円体)の存在を報告した。1850年、フラーは来院した9歳の少女の症状を2ヶ月後に死亡するまで、発病に遡って克明に調べ、小児白血病の最初の詳しい事例報告を行った。その際、ベネットは、血液写真に「サイズの異なる無色の顆粒状の回転楕円体の小球」が多数写っているのに注目し、それを1852年に図として公表した【参考文献:『白血病の歴史: 当初から現代までの診断と治療〔History of Leukemia: Diagnosis and Treatment from Beginning to Now〕』(Historical Review, 2016)、『白血病/古代から1950年までの歴史的寸評〔Leukaemia – a brief historical review from ancient times to 1950〕』(British J. of Haematology, 2001)】。さて、次のシーンでは、また、過去に戻り、ウィリスが2人を海岸に連れて行き、“水を一杯に詰めて栓をしたビンに尾翼を付けた物” を砂浜に置き、そこに空気を送り込んでロケットのように飛ばして見せる。その後で、ウィリスはサムに、「この前話したこと、考えてみた?」と、日記を付けることを強く促す(3枚目の写真)。サムが、「誰が、僕の話なんか読みたがる?」と訊くと、フェリックスが、おどけて、「サム・マックイーンの悲劇。恐ろしい苦痛に耐え、TVもない病院で我慢しなければならない 弱々しい病気の子」と言い、サムが、ゲッと吐く真似をする。フェリックスは、今度は、自分の死を連想し、「さよなら友よ、愛する人たち… 葬儀の時には 僕に眼鏡をかけるのを忘れないで」〔伏線〕と笑顔で言う。

ここで、場面はさらに “昨年” に戻る。理由は、サムが薬のせいで毛が抜けてしまい、病院で初めてフェリックスに会ったシーンだから(1枚目の写真)。フェリックスがサムの部屋に闖入した理由は、こっそりタバコを買いに行こうとして、廊下で看護婦と鉢合わせそうになったから。サムに隠れた理由を訊かれたフェリックスは、伯父のパブの自販機で買ったタバコがなくなったので、1階に行けば誰かが買ってくれるかもしれないと思ったからだと答える。その時に使う口実は 「死ぬ前に、どうしてもタバコが吸いたいから」。サムは、フェリックスの車椅子を押し、2階の受付けの看護婦が後ろを向いた隙に、前をすり抜ける(2枚目の写真)。1階に行った2人は、いろいろな人にいろいろな嘘を付く。①入院中の金持ちの伯父が欲しがってる(多額のお礼がある)、②タバコがないと 妹の手術をする外科医の手が震える、③タバコを吸わないと僕に禁断症状が出て危険、④癌病棟の何人がタバコを受け入れるかの確認調査、⑤小児病棟の子に強く頼まれた。効果があったのは、最後の⑤だけ。

前節の最後で、映像は過去の場面だが、現時点でのナレーションが入る。「誰も答えない質問1。自分がいつ死んだか どうしたら分かる?」(1枚目の写真)。ビデオカメラの前に先に座ったのは、フェリックス。彼は、臨死体験に否定的で、酸素不足か、薬剤のため頭が変になったのか、有名になりたいから嘘をついていると説明する。次にサムが交替し、一旦死亡した女性が天井に浮かんで自分を見ている話をする。そして、最後に2人揃って並ぶと、サムが、「結論。臨死体験の良いところは、天国に行け、有名になり、エルフ〔≠悪魔〕に熊手で突かれることです」と言う(2枚目の写真)。

場面は変わり、母と妹が、サムにキスしてミニに乗り込む。「ママは慈善団体で働いてた。僕が病気になった時に辞めた。日曜には、教会の聖歌隊で歌う。僕は、心配するフリをする人がいるから行かない。パパは決して行かない。僕の病気について話すのも嫌う」。道路で遊んでいた子供たちの蹴ったボールが サムの前に転がってくる。サムがそれを手に取ると、それを 窓辺で電話を掛けていた父が見ている。サムが、ボールを軽く蹴って返し、嬉しそうな顔で父を見上げると、父が背をむけて窓から去って行くので、サムの顔が曇る(1枚目の写真)。次のシーンでは、サムが座っているキッチンテーブルの向かい側に、父が座る。それを見たサムは、父が無意識にする動作を、次々と真似てみる〔父は全く気付かない〕。そこに、母と妹が帰って来る。母は、テーブルに黙って座っているだけの2人を見て、「えらく静かね」と言い、「サム、何してるの?」と訊く。「宿題」。「突然、宿題が山ほどできたの?」。父は席を立ちながら 「午前中、ずっと書いてたぞ」と言う。そして さらに、「そんなに一杯宿題ができるんなら、そろそろ学校に戻ってもいいんじゃないか?」「あの可哀想な女性〔ウィリス〕は、随分長いこと ここに来てるぞ」と、サムの病状に関して100%認識不足の発言をする。サムは、「僕、ウィリスさん好きだ。学校には戻りたくない。僕が疲れてる時に、みんなは、ホントに病気なのとか、なんで家に帰れるかって訊くんだ」と、強い調子で反論する(2枚目の写真)。それでも、父は、母に向かって 「ばかばかしい。サムは、ずっと良くなったじゃないか。何もせずに ここに閉じ込めておくのはバカげてる」と文句を言う。それを聞いたサムは、「やることは山ほどある。家にいたい」と言う。「パパは、僕が化学療法を受けていないので、良くなったと思ってる」。母と父が言い争っていると、立ち上がったサムの鼻から大量の血が流れ出し、サムは両手で顔を覆う(3枚目の写真)。母は、それを見ると、急いで駆け寄り、妹がティッシュを取りに走る。「パパは、動かず、僕を まるでエイリアンみたいに、奇妙な目つきで見てるだけ…」 。

別の日。ピンク色のスクーターに乗った女性が、家の前にやって来る。それを見たサムは、「アニー・ドラキュラ」と笑顔になる。部屋に入って来たアニーは、「ドラキュラに任せて」と陽気に応える(1枚目の写真)。「アニーは、ドラキュラじゃない。血を扱うから、そう呼んでるんだ〔週2回、自宅まで来て血小板輸血をしてくれる看護婦とは思えないユニークな女性〕。アニーに 「どんなことしたの?」と訊かれ、「何を言おうとしたのか? 本を書き始め、ビデオを撮り始めた。ロケットを打ち上げた。パパは僕が良くなったと思ってる。サッカーボールを蹴った」。しかし、サムが言ったのは、「別に何も」だけ。「終わったわよ」(2枚目の写真)「海賊君、今は、無理しないで」。アニーが帰ってから、ビデオ撮りを始める。「これは、カテーテル〔正確には、中心静脈カテーテル〕」(3枚目の写真)「これを使って血を取ったり、いろいろな物を注入するんだ。今は、血小板を入れてる。痛いから、病気だってこと 忘れることができない」。

ここからが、この映画のメイン・ストーリー。小さな港のような場所で、芝地のベンチに座ったウィリスとサム、車イスのフェリックス(1枚目の写真、矢印)。画面上に、サムのナレーションとともに、この映画の主題が現われる。「死ぬまでにやりたいこと」。ウィリスが、「やりたいことのリストを作りましょう」と言い出す。サムも、さっそく1枚の紙に書き始める(2枚目の写真)。最初に書き終えたウィリスが、「最初に行くわよ」と言い、「1、グランドキャニオンに行く。2、屋根裏を片付ける。3、メレンゲ作りを習う。4、犬を訓練する」と発表する。次が、フェリックス。「金持ちの有名人になり、すべての医者をぶちのめし、コンサートでアラビア人を見る」。フェリックスの、不真面目さがよく分かる。そして、サムの番。「有名な科学者になり、見つけたことを本に書く」「観ることが許されていないR-18指定のホラー映画をすべて観る」「下りのエスカレーターを駆け上がる」「飛行船に乗る」。ここまでの望みが、画面に 短縮されて表示される(3枚目の写真)。短縮版は、「有名な科学者になる」「R-18〔18歳未満禁止〕指定のホラー映画を観る」。後の2つは同じ。その夜、サムは、さらに書き足す。「ティーンエージャーになり、〔お酒を〕飲み、タバコを吸い、ガールフレンドを持つ」(4枚目の写真)。そして、翌日、フェリックスに見せた紙には、さらに追加されていた。「幽霊を見て、宇宙船に乗って星を見て、世界記録を破る」(5枚目の写真)。フェリックスは 「これ全部、やるつもりか?」と訊く。「さあ、たぶん無理」。

ここで、フェリックスは思わぬことを言い出す。「挑戦してみることは、できるだろ?」。「絶対できないこともあるよ。本気じゃなく、願望みたいなものさ」。「なぜ、ホラー映画を観られない? 兄貴は部屋に山ほど持ってるぞ」。「じゃあ、このリストでできることは、2つしかない。ホラー映画を観て、下りのエスカレーターを登る。残りは全部不可能だ」。「フェリックス・ストレンジャーに不可能はない。世界記録なら破れるぞ。父さんは、30秒で200匹のミミズを食べた男のことを話した。やってみよう」。フェリックスは大量のミミズを木の箱に入れる。そして、「どんな味かみてみよう」と言い、お互い1匹ずつ口に入れる(1枚目の写真、矢印はミミズの山)。2人は即座に諦める。次にフェリックスが提案したのは、世界最小のナイトクラブ。「(記録は)2.4×2.4×1.2m。これなら、やれる」。場所は、サムの部屋のワードローブ。サムは中に入って行き(2枚目の写真)、服を全部取り出す。どう見ても、2.4×2.4×1.2mよりは狭い。2人は、ワードローブの中をそれらしく飾り立て、ワードローブの天板からミラーボールを吊り下げ、音楽や飲み物も用意する。そして、音楽に合わせて2人で踊る。その様子をワードローブの外から撮ったのが3枚目の写真。扉には、「THE COATHANGER CLUB〔洋服掛けクラブ〕というナイトクラブの名前が書かれ、その下に「OPENS TODAY〔今日開店〕」とあるので、一般公開の条件も満たしている。

次に映るのは、将来挑戦することになるエスカレーターの前に立つサム。ここで、ナレーションが入る。「誰も答えない質問2。神はなぜ子供たちを病気にするのか?」(1枚目の写真)。その直後、フェリックスの言葉が入る。「神が存在しないからさ」。「そんなことない」。「そうさ。たぶん、存在しないんだ」。「じゃあ、2つ目」。「神は存在する。だが、秘密に邪悪なんだ。子供たち痛めつけて楽しんでる」。この場面の背景は、病院で診察を受けるサム(2枚目の写真)。「そんなのバカげてる」。医者が、その結果を母に告げている〔内容は不明〕。「3つ目。神は偉い医者みたいなもの。人々を病気にすることで、より良い、利己的でない人間に変える。たとえ死んでも神は気にしない。だって、神が住んでる天国に来るだけだから」。「それこそバカげてる」。以上の会話がどこでなされていたかが、次のシーンで分かる。ウィリスが、黒板に、1から3までを書いていたからだ(3枚目の写真)。そして、フェリックスが、「4つ目。理由なんかない」と言い、すぐに、サムが、「5つ目。理由はあるけど、僕たちはバカだから それが理解できない」と否定。「それは悪い行為の罰だ」。「そうじゃない」。「なぜ? 仏教徒はそう言ってるぞ。過去の人生でしたことに対するカルマだ」〔このカルマは、仏教ではなくインドのヴェーダ哲学〕

そのあと、映像は脱線し、ヒンズー、ピグミー、ユダヤ、メキシコの葬儀の仕方について、ジョン・ヒューズ・ベネットの時のように、人形劇を使ったサムのナレーションが続き、メキシコ編の最後は 「死者の日には、家族の墓を訪れ、死者のために食事を作り、テーブルに死者の席を設ける」で終わる。そのラスト・シーンが1枚目の写真で、子供の時に死んだサムとフェリックスの写真の前に、食物が並べられている。そして、その直後、フェリックスの家で、2人がピザを食べているシーンに変わる(2枚目の写真)〔場面のつなぎ方が巧い〕。すぐに、フェリックスの母が顔を出し、スーパーに行くと言って家を出て行く。フェリックスは、「チャンス到来」と言う。「何が?」。「兄さんは油田掘削に行って 1ヶ月留守なんだ。行こう」。フェリックスは、ロフストランド杖に両腕を通すと、車椅子がなくても階段を上がって兄の部屋に行くことができる。そして、兄のDVDのコレクションの中から、『エクソシスト』を選び出し(3枚目の写真)、「ホラー映画を観たがってたろ。これが一番恐ろしい奴だ」と言う。サムは、DVDの箱に書かれた言葉を読み上げ、「観たことある?」と訊く(4枚目の写真)。フェリックスは首を横に振る。「何がそんなに怖いの?」。フェリックスも、解説を読む。「1人の少女が、憑依されて病気になり、投げ出されたり、痙攣を起こすんだ」。「そんなの僕にも時々起きる。何も怖くないじゃない」。「ホラー映画が観たいんだろ?」。そして、2人は、兄の部屋のTVで『エクソシスト』を観る。「死ぬほど退屈だった。怪物か悪魔が現われるのを期待したのに」。しかし、娘のリーガンに悪魔が憑りつき、不気味な行動を取り始めると、サムは緊張して画面に見入る。そこに、買い物から母が帰って来て、「何を観てるの?」と訊き、内容を知ると同時に、フェリックスを叱り付けTVを消す(5枚目の写真)。「フェリックスのお母さんは、僕らに終わりまで観せなかった」。母親:「最後に、彼女は治るわ」。「彼女はそう言った。内心、何かすごく怖い感じがしていたので、ここで止めさせられてホッとした」。

ここで、サムのビデオ録画が入る。「僕の病気について、もう少し… 僕は3度、白血病になった〔この映画の製作年に近い2008年の論文に、「一度再発した小児の急性リンパ性白血病の予後は依然として不良」との記述がみられる〕。僕は2度 化学療法を受けた」(1枚目の写真)「パパは3度目を希望したが、ビル博士はノーと言った。白血病は常に戻ってくる。治したと思っても、戻ってくる。統計: 発症者の85%が永久に治る。10人のうち8人半。ほとんどの人だけど、僕は違う。いつも戻ってくる。医者が、『様子を見ましょう』とか『成功を祈って』と言う時…」(2枚目の写真)「それは、これ以上 化学療法をする気がないことを意味するんだ」。

サムは、自分一人でも実現可能な、「下りのエスカレーターを登る」に挑戦する(1枚目の写真)。一度は失敗したが、二度目で成功。思わず笑顔になるが(2枚目の写真)、そこに、危ないことをしたので注意しに警備員が現われる。しかし、サムが振り向くと、鼻血が顎まで垂れているので、警備員も心配になり、「大丈夫かい?」と尋ねる。そこに、母と妹が駆け付けてきて、すぐにティッシュで鼻を覆う(3枚目の写真)。それでも、サムには、達成感の方が大きい。

夜になり、サムは、その日の素晴らしい成果を日記に書いている(1枚目の写真)。すると、いつもはサムを避けている父が、ドアに現われ、「また、宿題をやってるのか?」と声を掛ける。サムは、笑顔で、「ううん、ホントは、本を書いてるんだ」(2枚目の写真)「日記だけど。ビデオでも録画してる」と答える。父は、子供の頃、冒険物語を書こうとしたが、最初の1章も書けなかったと打ち明ける。「僕は、自分について書いてる… 病気のことを。何もかも」(3枚目の写真)。「お涙頂戴ものじゃないよな?」。「違うよ」。

翌朝、フェリックスの家を訪れたサムを、彼は 外に連れ出す。フェリックスが手にしている紙を見て、サムが 「それ、何?」と訊くと、フェリックスは 「君のやりたいことを みんな叶えてやる」と言う(1枚目の写真)。「行くぞ」。「左、右?」。「右だ」。サムは、フェリックスの車椅子を押していく途中で、奇妙な場所の映像がある(2枚目の写真)〔「これはいったい何だろう?」と考え、鉄で出来た柱の上に装飾があることから、ニューカースルに多い、歴史的な橋の歩行者用通路ではないかと思い、「Newcastle bridge Pedestrian walkway」で検索したら、これが1849年(幕末の嘉永2年)に完成した鉄道と道路の併用橋として世界的に有名なハイ・レベル橋(全長408m、道路部分の高さ29m、鉄道部分の高さ37m、つまり2階建て)だと分かった〕〔しかし、その次に映る、クレーンが川沿いに立ち並ぶ光景は、見つからなかった。少なくとも、ハイ・レベル橋から直線距離で4.5キロ以内に、このような場所はない。しかも、川は蛇行しているので、車椅子を押して歩くとすれば何時間もかかる〕。2人が最終的に辿り着いたのは、工場地帯の真っ只中にあるパブ(3枚目の写真)〔ここも、場所の特定は不可能〕。この建物は、フェリックスの伯父が経営するパブ。今は営業時間外。それでも、フェリックスに言われてサムがベルを鳴らすと、1人の少女が現われる(4枚目の写真)。その少女を見て、「僕は、1分間、キュンとして ティーンエージャーになったような気がした。息が止まりそうで、いきなりおしっこに行きたくなった」(5枚目の写真)。少女は、「何の用?」と、フェリックスに不愛想に訊く。フェリックスは 「どうもご親切に」と皮肉ると、「これはサム。パブを見せに来た。中に入れるかい? マック伯父さんはいる?」と訊く。「2階よ。パブに連れて行っていいかどうか分かんない」。フェリックスは、サムに 「彼女、素敵だろ? サム、僕のいとこのケイリンだ」と言い、ケイリンには 「病院で友だちだったサムだ」と紹介する。ケイリンは、サムに「どうしたの?」と訊く。「僕は、粒状の回転楕円体の小球を持ってるんだ」〔誰も理解できない〕。フェリックス:「あんなの無視して。僕らを中に入れる気あるかい?」。「いいわよ。でも、パパに見つかったら、あなたのせいにするから」。

パブの中に入った3人。カウンターに座っているのは、サムとフェリックス。そのフェリックスが、サムにタバコの箱を差し出し、サムはそこから1本抜き取る。そして、フェリックスがライターで火を点ける(1枚目の写真、矢印)。フェリックスもすぐにタバコをくわえるが、火を点ける前に、サムが咳いてタバコを口から出し(2枚目の写真)、もう2度と吸いたくないと、カウンターに置く。これで、「ティーンエージャーになり、〔お酒を〕飲み、タバコを吸い、ガールフレンドを持つ」のうち、“3つ目” は叶った。フェリックスは、「ティーンエージャーになった気持ちはどう?」とサムに訊くので、“1つ目” も同時に叶ったことになる。次に、フェリックスは、“2つ目” も叶えてやろうと、「ケイリン、何か出してくれる? サムは “飲みに行く” ってどういうものか、知りたがってるんだ」と頼む。ケイリンは、「パパが、絶対使わないボトルが たくさんあるわ」と言うと、ハッカ入りリキュール、カカオのリキュール、チェリー・リキュールを候補に挙げる。フェリックスは、チェリーを選び、ケイリンは、小さなショットグラスを3個カウンターに置き、チェリー・リキュールをなみなみと注ぐ。そして、3人は一気に飲み干す(3枚目の写真、矢印)。フェリックス:「もう一杯」。3人は、2杯目も一気に飲み干す。これで、“2つ目” も叶った。残るは “4つ目”。フェリックス:「これで、2つのティーンエージャーをやったな。あと1つで終わりだ」。サム:「そんな、とんでもない」。フェリックスは、ケイリンに、「もし、僕が、何か頼んだら、やってくれる?」と訊く。「ノー」。「子供っぽくしないで」。「内容次第」。「サムの口にちゃんとしたキスをする」。それを聞いたサムは、「僕が言い出したんじゃないからね。誓うよ」と、ケイリンに向かって、必死に打ち消す。フェリックスは、ケイリンに、「してくれる?」と訊く。「ノー。やっぱり、ノー。あなたの見ている前じゃ」。それを聞いたフェリックスは、ロフストランド杖で立ち上がると ジュークボックスの前まで行き、「よければ、ダンスする?」とケイリンに訊く。「見ちゃダメよ」。音楽がかかり、サムとケイリンは向かい合って立つ。ダンスするワケでもなく見つめ合う2人。そして、ケイリンは、一瞬、サムの頬にキスをする(4枚目の写真)。

この幸せな体験の直後、ナレーションが入る。「誰も答えない質問3。実は本当に死んでなかったら、どうなるのか? 生き埋めにされるんだろうか?」(1枚目の写真)。画面は、ジュークボックス。そして、恒例になった人形劇が始まる。19世紀のDoctor Adolf Gunsmithという架空〔ネットで検索しても、この映画の台詞以外に出て来ない〕の人物の話。彼は、生き埋めにされた体験をするため、棺に入って地中に3日間滞在し、管を使って空気と食料を補給したというものだが、どう見ても冴えない挿話。その後、サムとフェリックスとの長い会話。2人の性格がよく出ている。フェリックス:「君は、どんな風に死ぬ?」。サム:「もう知ってるだろ」。「日記のことだよ。ママを隣に座らせて、何が起きてるのかインタビューさせなきゃ。『どんな感じ、サム?』と訊かれて  『羽のある怪しい奴の光が一杯見えるよ…』と答えるとか」(2枚目の写真)。この悪い冗談に、サムは、「やめろよ」とプリプリ。それでも、フェリックスは続ける。「予め書いておけるぞ。『僕の死はとても悲しく、みんなが泣いた。僕がどんなに寂しかったか、延々とスピーチした』とか」。フェリックスは、さらに、「僕がどんな風に死ぬか見に来れば、それをノートに書いて、自分が死ぬ時に利用できるぞ。その時は、僕の名前を謝辞に入れろよ」とも。「どんな風に?」。「『フェリックス・ストレンジャー、くたばってる間にノートを取らせてくれてありがとう』」。「どうかしてる。君が死ぬって時に、誰かにノートを取らせる気か?」。フェリックスは、「誰もいて欲しくない。僕一人で死ぬんだ」と寂し気に言うと、再び楽しそうに、「君は、両親が記入できるように、質問票みたいなものを作れるぞ。『サムの死は、A)平和だった。B)恐ろしかった。C)知らない。フィッシュ・アンド・チップス店にいたから』」(3枚目の写真)。「それは、ちょっとゾッとする話だったけど、ママとパパが、キッチン・テーブルで質問表に書いているのを想像すると、何となく可笑しい〔これは、あとで実現する〕

夜、サムがベッドで横になっている。「これも、実際にあった話。少なくとも、お祖母ちゃんは そう言った。そして、お祖母ちゃんは嘘をつかない。絶対… ほとんど…」(1枚目の写真)。そして、過去に、祖母と交わした会話が蘇る。祖母:「あなた、私に、幽霊を信じてるかって訊いたでしょ。あのね… ある晩、見たのよ。それは、あなたのお祖父ちゃんが亡くなった日だった。私は、一日中、多くの人と家で過ごしたわ」。夜になり、弔問客が帰って行く。「私たちは、16歳の時から、あのベッドで一緒に寝てたの。でも、その夜から、私は一人で寝なくちゃいけない。その次に起きたことが、夢か現実かは分からない。二度と眠れないのではと心配していたら、突然、あなたのお祖父ちゃんが私の腕を撫でていると感じたわ。そして、『本当に申し訳ない。別れたくないのだが、行かなければならない』と、私に謝ったの」(2枚目の写真)。「また、お祖父ちゃんに会った?」。「いいえ。でも、あなたは会ったわ」。「僕が?」。「エラが生まれた時、あなたは私と家にいたでしょ。ある夜、あなたが 『あごひげの男は誰?』と言うのを聞いて、私はあなたの部屋に走ったわ」。「誰かいたの?」。「いいえ。でも、あなたのお祖父ちゃんのパイプの臭いを感じたわ」。サムのナレーションが入る。「僕は、お祖母ちゃんには 何も言わなかったけど、突然、すべてを完璧に覚えていることに気付いた」(3枚目の写真)。そのことをフェリックスに話し、「それって、幽霊が見たいという僕の望みが叶ったってこと?」と訊くと、フェリックスは、「違うな。僕は、ランプの魔神〔アラジンと魔法のランプ〕。だから、君の願いを叶えてやろう」。

フェリックスが取り出したのは、ウイジャボード(1枚目の写真)〔交霊術や降霊術に使われる道具〕。サムは、「ママは、ウイジャボードが嫌いだよ。理解できないもので遊ぶべきじゃないって」と反対する。「幽霊に会いたいんだろ?」。サムは頷く。そこに、妹のエラがやってきたので、3人で試すことに。エラは、「学校で話してるの聞いたんだけど、2人の女の人が交霊会で眠ってしまい、タイムトラベルして マリー・アントワネットの時代に戻ったんだって」と話す。フェリックスは、「そこに誰かいる?」と訊き、3人が小さな円盤の上に指を乗せると(2枚目の写真)、円盤は「YES」の文字の上に動く。サムは 「君が動かした」とフェリックスを非難する。当然、彼は 「やってない」と答える。そして、「あなたの名前は?」と訊くと 「M-A-R-I-A-N」と動く。「マリアン?」。円盤は、さらに 「T-W-A-N-E-T」と動く。これは、“Marie-Antoinette” の英語的なスペルミス。サムは、「フェリックス、スペル知らないじゃないの?」と笑う。それにお構いなく、フェリックスは、「あなたは、フランスの女王ですか?」と訊く〔マリー・アントワネットは、フランス語とドイツ語しか話せなかった〕。円盤は、再び 「YES」の上に。エラも、「どうやって動くの? あなたなの?」とフェリックスに訊く。「アンデッド〔不死者〕の力だよ。質問したければどうぞ」。「遠慮するわ」。サムは、「アンデッドって、どんな感じ?」と訊く(3枚目の写真)。「B-O-R-I-N-G」。エラ:「退屈なのね」。サム:「フェリックス!」。フェリックスは、「僕じゃない」というと、「サムは、近いうちに、本を終えますか?」と訊く。円盤は、「4-YES」と動く〔4ヶ月で死ぬということ?〕。因みに、あるサイトの2018年の記事には、同年7月にデンマークのオーフス大学の研究者が『Phenomenology and the Cognitive Sciences〔現象学と認知科学〕』に掲載した学術論文では、被験者の視線を追跡するデバイスを付けた実験の結果、無意識のうちに、答えの文字を脳が感じ取り、そちらの方に指を動かしているらしいことが判明したとある。映画の場合は、エラがマリー・アントワネットと最初に言った言葉が、3人の脳に残っていて、自然と、無意識のうちに、発音から想定されるように、英語式に綴ったということになる。何れにせよ、サムは、ウイジャボードでは幽霊には会えなかった。「幽霊に会いたい」という願いが叶ったとすれば、それは、祖父との霊であろう。

サムの家に、3人の伯母がやってくるが、その正面に座ったサム(1枚目の写真、矢印)は、全く別のことを考えている。「飛行船が欲しい。それなら空を飛べる。滑走路も要らない、アフリカやアメリカを見に行ける」。4度目の人形劇が始まる。「自由の女神や、ピサの斜塔に係留することもできる。そして、誰かが止めようとしたら…」(2枚目の写真)「『アスタ・ラ・ビスタ〔スペイン語でサヨナラ〕。もやい綱を解き、飛び続ければいい。誰も僕を止められない」(3枚目の写真)。

次は、ビデオの前で。「今日、ママは僕に腹を立てた。伯母たちが来ていたのに、僕が何も言わなかったから」(1枚目の写真)「僕も腹が立ったので、この物語をでっち上げた」。サムの顔がクローズアップされる(2枚目の写真)〔瞳は本当に緑〕。そして、空想上のストーリーが始まる。ドアベルが鳴ると、興奮したアニーが現われる。彼女は、製薬会社が、新薬(大量の実験用マウスの白血病が完全に治った)を開発したと言い、その薬を持ってきたのだ。サムは、人間初の実験台となり、完全に回復する。サムは、世界中のニュースに出演し、製薬会社は、小切手をくれたので(3枚目の写真)〔額面は、1,000のあとに0が18個もついている〕、サムとフェリックスは家族と一緒にクルーズ旅行に出かけるというもの。「白血病で死ぬ人は、もう誰もいなくなる」。

ここで、話は急に別の方に飛び、5度目の人形劇。「人生も、星と同じくらい簡単だといいのに。星が爆発すると、光が創り出される」(1枚目の写真)。この黄色の星の “尾” が、次の場面では、ドラム缶から飛び散る細かな火花に変わる(2枚目の写真)〔ここも、場面の接続が巧い〕。「今日は、今までで最高のクラスの一つだった。フェリックスなら、鉄粉の爆発に大喜びしたろうに、なぜか今日は現れなかった」。母が、掛かってきた電話を置く。そして、しばらく考えると、深刻な顔でサムの部屋まで行き、「サム」と声をかける。「フェリックスがどうかしたの?」(2枚目の写真)。「今朝、入院したの」。「なぜ?」。「感染症だとか」。「大丈夫だよ」。しかし、母の顔は曇ったままだ。それから3日後、アニーが来た時、サムは、「フェリックスのこと、何か知ってる?」と訊く。アニーは首を横に振る。「変だよ。3日も病院にいるのに、一度も電話かけてこない」。「海賊君、病室に電話がないこと知ってるでしょ」〔部屋から出て電話を掛けに行けないほど具合が悪いことには、触れないようにしている〕

夕食の時、心配が高じたサムは、母に 「ママ、フェリックスのママに電話した方がいいよ」と言い出す(1枚目の写真)。「ジリアン〔フェリックスの母〕は心配することがたくさんあるから、煩わせない方がいいわ」。それでも、サム、「見に行っちゃダメ?」と訊く。「ダメよ、とっても具合が悪いの」。父も、「彼を助けるためにできることは何もないんだ」と口を出す。それを聞いたサムは、「ずるいよ!」と怒って席を立ち、勝手に電話を掛け始める。電話に出たのは、ミッキー〔フェリックスの兄〕だったが、すぐに母が受話器を奪い取り、「ごめんなさい」と謝る。サムは、「訊いてよ!」と叫び、父に制止される(2枚目の写真)。母は、「サムは、とっても心配してるの」と言い。何事かを訊く。そして、電話を切ると、2人の前に姿を見せ、「まだ病院にいるわ」と言う。父:「それで?」。「とっても具合が悪いそうよ。ミッキーは、ママに訊いてみると言ったけど、来ても仕方ないとも言ったわ。ずっと眠ってるって」。サムは、「土曜は元気だった。どこも悪くなかった」と言うと…

キッチンから出て行き、ナレーションが入る。「誰も答えない質問4。死ぬのは苦しい?」(1枚目の写真)。ここからは、ビデオ。サムは、『コリンズ・エッセンシャル英語辞典』を手に持ち、「辞書は、質問に答えてくれない」と言い、該当の箇所を読み上げる。「死は、重要な身体機能の最終的な停止。人生の終わり」(2枚目の写真)。「でも、これじゃ、死んだ時に何を感じるか分らない」。

夜、電話が鳴る(1枚目の写真)。母が出るが、着ている服が同じなので、先ほどと同じ日であろう。心配したサムが、ガラスのドア越しに様子を見ている。母は、電話を切ると、サムに向かって、「ジリアンはこう言ったわ。もし、あなたが望むなら… 会いに来るべきだって」。サムは、母と一緒に病院に行く。看護婦に案内されてフェッリクスの病室に行く途中で、ナレーションが入る。「突然、この病棟でフェリックスと一緒に過ごした楽しい日々が一気に戻って来た」。サムは、昔、自分がいた病室の前で立ち止まる(2枚目の写真)。「僕らは、ベッドの上で 吸血鬼の血のボトルを空にして、学生看護師に自販機からコーラのボトルを持って来させようとした… 彼女はあまり怖がらなかったけど、コーラは持って来てくれなかった」。2人のじゃれ合っていた姿が幻のように頭に浮かぶ(3枚目の写真)。

それまでフェッリクスを見守っていたジリアンとミッキーは、サムの母と一緒に紅茶を飲みに行き、サムはフェリックスと2人だけで過ごせることになる。しかし、サムが病室を覗くと、フェッリクスはただ眠っている。サムは、ベッドに腰を降ろすと、「目を覚ましてよ。君が行っちゃったら、まだ叶えていない僕の願いを 誰が達成してくれるの?」と声をかける(1枚目の写真)。すると、本当なのか、気のせいなのか、フェッリクスが顔の向きを変え、微笑みを浮かべる(2枚目の写真)。そして、すぐに元に戻る。「僕は、彼の横で座っていた。看護婦か、ミッキーを呼びにいくべきだと分かってたけど、しなかった。僕は、他の誰かが戻って来るまで、彼の横で黙って座っていた」(3枚目の写真)。

フェッリクスが死んだ夜、僕はほとんど眠らなかった。とっても、とっても疲れてたけど、眠らなかった。僕は、すべての想いを吸い込み、いつでも取り戻せるように、心に留めておこうとした」。そして、翌日の早朝、サムは、日記とビデオカメラを持って玄関から出ると、それを門柱の前にあるゴミ箱の中に捨てる(1枚目の写真、矢印)。そして、家に戻ると、母が出してくれたオレンジジュースを飲もうとするが、咳き込んで、全部吐き出してしまう。そして、「こんなの嫌だ!」と言って 母にすがりつく。2人はそのまま泣き崩れる(2枚目の写真)。

フェリックスの葬儀に出席するために着替えたサムの 重苦しいナレーション。「だしぬけだったが、僕が死んだ後の生活が見えてしまった。物事は何もなかったように続くんだ」。そして、フェリックスの葬儀が行われる教会堂の壁を背景に、ナレーションが入る。「誰も答えない質問5。死人はどのように見え、どんな手触りなのか?」(1枚目の写真)。サムは、葬儀のミサが始まっていない堂内に入って行き、祭壇の前に置かれたフェリックスの棺に向かって真っ直ぐに歩いて行く(2枚目の写真、矢印は棺)。そして、棺の中のフェリックスをじっと見つめる。「フェリックスが死んで横たわっているのを見た時、怖いとは思わなかった」。かつて、フェリックスが冗談で、「葬儀の時には 僕に眼鏡をかけるのを忘れないで」と言ったのを覚えていたサムは、胸の上に置いてあった眼鏡を手に持つと、生前と同じように、顔にかける(3枚目の写真)。そして、額に触れてみる。「それは 彼だったが、硬直し、活動を停止していた。そして、生きていた時よりも きれいだった。彼は冷たかったが、雪の中に指を突っ込んだ時の冷たさとは違っていた。彼の冷たさは、彫像の冷ややかさと同じで、体の中に暖みは全くなかった。一般に言われていることは間違っていると望んでいたが、間違っていなかった。フェリックスは… 空っぽだった」。

ミサが始まると、サムはいたたまれなくなり(1枚目の写真)、走って逃げ出す(2枚目の写真)。そして、教会の外に広がる野原に立ち、じっと海を見つめる。「僕は、お祖父ちゃんがお祖母ちゃんにしてくれたように、フェリックスが何かしてくれないかと待っていた… 実際に起きたことは、ずっと素敵なことだった…」。サムの背後に現れたのは、フェリックスのいとこのケイリンだった。そして、サムの頬をつかむと、今度は、口にキスをする(2枚目の写真)。キスを終えたケイリンは、「Not bad」と言う〔何が言いたかったのだろう? 日本語のサイトでも、「悪くない」「まぁまぁ」といった “ややポジティブ” から、「すごい」「素晴らしい」の “絶賛” まで分かれている。英語のサイトでも、コリンズ英英辞典では、「passable(まあまあ)、fair(かなり)、fairly good(かなり良い)」と、やや消極的だが、ケンブリッジ英英辞典では、「very good(とても良い)」だけとなっている。要は、時と場合で雰囲気が違ので、この場合は、「Not bad」と言った時のケイリンの顔から、前者、すなわち、「悪くないわね」くらいが適切であろう〕。彼女は、すぐに走ってミサに戻る。「フェリックスは、僕の最後の望みを叶えてくれた」(4枚目の写真、矢印はケイリン)〔この海に面した教会は、場所を見つけるのに苦労した。結局、ニューカースルの都心から13キロ東北東の海沿いにあるSt George's, Cullercoatsという教会だと判明した。後で出て来るHerd Groyne灯台とは、タイン川を挟んで2.3キロしか離れていない。サムやフェッリクスの家の場所は分からないが、ニューカースルの市内ではなく、結構海に近い町に住んでいたのであろう。ウィリスが海岸に2人を連れて行くシーンが2度もあるので、それが正解であろう〕

その夜、サムの父が 大きなゴミ袋を持って門柱のゴミ箱まで行くと、中に、息子の日記帳とビデオカメラが捨ててあるのを見つける(1枚目の写真、矢印)。ナレーションと同時に背後に映る映像は、今回に限り2つに分かれている。「誰も答えない質問6」の部分では、父がビデオカメラに何が映っているかチェックしている。質問本体の 「なぜ、人は死なねばならないのか?」の部分では、父が日記を手に持っている。そこで、2枚目の写真では、2つを合成して示した。父が、最初に開いたページには、「飛ぶこと」という題がついていて、「人間は常に飛ぶことを望んでる。僕もだ。宇宙船や飛行機、熱気球でも構わない。僕は、ただ雲の上から地球を見下ろして、下にいるすべての人々を見てみたいんだ」と書かれ〔字をすべて判読するのには苦労した〕、その下には、飛行機の絵が描かれ、「機長、サム」、その右には、熱気球の絵が貼り付けてある(3枚目の写真)。次に父は、ビデオカメラの中身をTVで見てみる。それはちょうど、映画の冒頭で、「痣がたくさんあるよね。僕のせいじゃなく、白血病になると こうなっちゃうんだ」と説明していた部分(4枚目の写真)。父の顔は、これまでになく真剣で、息子に対する心からの愛情が初めて感じられる。

それから何日後かは不明。先にナレーションが入る。「その夜、何が起きたのか分からない。僕は、奇妙な夢を見た。突然、骨が痛み始めた」。その夜は、父しかおらず、サムの叫び声に、2階から駆け下りてくる。「とっても変だったのは、パパが来たこと。普通なら、ママが…」。父は、苦しむサムに、「どうした? どこが痛い?」と、動転して訊く。「体じゅう」(1枚目の写真)。父は、必死になって薬を探すが、初めての体験なので、どこにあるのか全く分からない。引き出しを抜いて探そうとして、焦って床に落とし(2枚目の写真)、中身が散乱する。サムは、床に落ちた薬ビンの一つを必死に指差す。父は、フタを振るえる手で回し、中身のカプセルをサムに渡す。父は、自分の “役立たず振り” に、「どっちが父親で、どっちが息子だ?」と、サムの前で反省する。そして、薬を飲んだサムをベッドに寝かせ、優しく髪を撫でる(3枚目の写真)。「何を叫んでた?」。「夢を見てた」。「何の?」。「思い出せない」。父は 「私も夢を見ていた」と言う。「どんな?」。「お前のいない夢」。そう言うと、父は泣き始める。サムは、「パパ、泣かないで」と、苦痛の中で ささやくように言う。父の涙は止まらない(4枚目の写真)。

翌朝、サムが目を覚ますと、棚の上にプレゼントが置いてあった。ビデオカメラ用の三脚と、サムがゴミ箱に捨てたカメラだ(1枚目の写真)。添えられた紙には、「その調子でがんばれ」と書いてあった。サムは、さっそく、ビデオ録画を始める。「今日は、パパについて話すよ。パパは39歳。スパゲティとベイクドビーンズ〔トマトソースで煮たインゲン豆〕が好き。アンチョビーは嫌い」。そこに、父が来て、「でも、出されれば食べるぞ」と言いながら、サムの横に座る。「ほら、続けて」。「好きな言葉は “orgulous〔誇り高き〕” で、高慢や尊大を意味するんだ。でも、パパ自身は、高慢でも尊大でもない… 頭に50ペンス〔直径2.73cmのコイン〕の大きさのハゲがあり…」(2枚目の写真)。父が割り込む。「1ポンド〔直径2.25cmのコイン〕」。「…僕とエラのせいだと言う」。父:「その通り」。「お気に入りのジョークは、“How did Sir find his steak〔ステーキはみつかりましたか(敢えて誤訳)〕?” 客の返事は、“With a great deal of difficulty, it was under my last potato〔大変だったよ。最後のポテトの下にあった〕〔このジョーク全体が、それをよく理解していないサムの覚え間違い。本当のイギリスのジョークは、ウェイターが、“How did you find the steak sir(ステーキはいかがでしたか)?” と訊いたのに、客が、“Oh, I just moved the potato and there it was(ポテトをどけたら、そこにあったよ)!” と答えた、というもの。笑いのポイントは、“How did you find…” が、“誰かに意見を求める時に使う丁寧語” であることに客(サムも)が分からず、“How were you able to discover the steak(ステーキは見つかりましたか)?” と訊かれたと思ったこと。さらに、そのレストランのステーキは、ケチで、ものすごく小さかったに違いない点も可笑しい〕

サムが朝食のミルクをコップに注ぐシーンをバックに、「誰も答えない質問7。死んだら、どこに行くのか?」が発せられる(1枚目の写真)。サムがコップを持って、キッチン・テーブルに座ると、サムの日記を読んでいた父が(2枚目の写真)、「ここには、まだ成し遂げていないことは、飛行船で空を飛ぶことと、宇宙船から星を見ることだけだと書いてあるが、他のことはすべてやったのか?」と訊く。サムは笑顔で頷く。「全部?」〔父が驚いたのは、「ティーンエージャーになり、お酒を飲み、タバコを吸い、ガールフレンドを持つ」の部分を サムがクリアしたことだろう〕。「でも、まだ、科学者になるには、もっといろいろしなくちゃ…」。「これは、科学的な研究だ。そう思わんか?」。サムは、「パパ、仕事に遅れちゃうよ」と心配する。「今日は仕事には行かない。私にも、家で息子と1日過ごす権利はある」。「でも、アニーが持って来た薬を飲むと、眠っちゃうよ」。「お前が、目を覚ました時、私はちゃんとそばにいるからな」。

父は、さっそくパソコンで情報収集を始める(1枚目の写真)。そして、コカ・コーラに電話を掛ける。恐らく数日後〔サムと父の着ている物が違う〕、一家4人で朝食をとっていると、1本の電話が入る。電話を取った母が、「何て?」と驚いた顔をし、「ありがとう」と言って電話を切る。そして、夫に向かって、「コカ・コーラの宣伝って、何のこと?」と訊く。彼は、「何って言ってた?」と期待を込めて訊き返す。「何のことか全然分からなかった。向こうは、住所を教え、1時間以内に来て欲しいって言ってた」。それを聞いた父は、「サム、急がないと」と言う(2枚目の写真)。「コカ・コーラの広告には行きたくない」。「行くんだ」。アウディQ5にサムを乗せると、自宅を出る。「人生の中には、終始一貫して完璧なものもあるが、それに出会うまで分からない」。アウディが向かった先は、森の外れにある野原。何台もトラックが並び、2人が丘を登ると、その先にあったのは真っ赤な飛行船。2人は、コカ・コーラの宣伝用の飛行船に乗る〔現場の入口に「撮影中注意」との看板が立っていたので、“白血病の少年のたっての希望を叶えるため、コカ・コーラが協力している” という場面でも撮影したのであろう〕。熱気球と飛行船の中間のような構造の広告用飛行体は飛び立ち(3枚目の写真)、操縦席の下のイスに父と一緒に座ったサムは、夢が叶って幸せ一杯だ(4枚目の写真)。

アニーが次に来た時、「すっごーい!」と言うと、サムは 「信じられなかった」と言い(1枚目の写真)、アニーを笑わせる。「今までにやったことのベスト」。「良かったわね、サム」。そして、「調子はどう?」と訊く。「いいよ」。ところが、横に立っていた母は、「最近、サムは、本当に疲れてるの」と アニーに話す。「始終 眠ってる」。サムは、「飛行船では眠らなかったよ」と反論する。「骨もまた痛むようになった。新しい薬は、あんまり効いてないみたい。先生に話して、別の方法を試した方がいいかしら?」と アニーに尋ねる。アニーは立ち上がると、母を隣の部屋に連れて行こうとする。サムは、「アニー、僕も聞きたい」と頼む(2枚目の写真)。アニーと母は目を合わせると、母はサムの隣に座る。アニーは、「薬が効かないのなら、この段階で できることはあまりありません」と母に言う。母:「でも、先生は、1年はもつと言ったわ」。「最大1年なの、ごめんなさい」。「残された道は、ただ(薬を)やめるだけ?」。「やりたくないことを強制する人は 誰もいません」。それを聞いたサムは、「僕、止めたい」と言う。「効果もないのに、バカげたこと続けたくない」。「僕は、ママが怒り出すんじゃないかと期待して緊張したけど、ママはしなかった。頷いただけだった」。サムの体から血小板を入れる針が抜かれる。そして、次の場面では、医師の前に並んで座る母と父。父は、「どれくらいありますか?」と訊く。医師は、「2ヶ月かもしれませんし、2週間かもしれません」と告げる。母は、「何てこと。1年はあると思ってた」と泣く(3枚目の写真)。すると、ドアのところに立っていたサムが映り、「お願い、泣かないで」と言う。「神様に会ったら、時間が足りなかったと文句を言うよ」。

変わった色の絨毯の上に寝転がったサム。「2ヶ月、2週間、僕はフェリックスと一緒にいたかった」(1枚目の写真)「僕は、それについて、彼が何て言うか、想像しようとした」。仮想的なフェリックスが現われる。「確かに短いな。好きなことをやれよ。思い切り楽しめ。誰も、ダメだなんて言わない」。「やりたいことなんてない」。「宇宙船に乗って星を見たいって、言ってたろ。その望み、まだ叶えてないじゃないか」。「本気じゃなかった。実現は不可能だ」。「この、意気地なし。やってみなってば〔I dare you〕」。そして、絨毯の上に文字が現われる。「誰も答えない質問8。僕がいなくなっても、世界はまだ存続するか?」(2枚目の写真)。サムがビデオカメラの前で話す。「僕は、一度、永遠に生きることができた2人についての本を読んだことがある。彼らは、それが嫌いになった。年を取り、孤独で悲しくなったから」「もし、誰も死ななくて、人々が生まれ続ければ、世界は一杯になり、遂には、積み重なって生きなくちゃいけなくなる。それは分かるんだけど、子供たちがなぜ死ななければならないか の説明にはならない」(3枚目の写真)。

サムの部屋にはプレゼントが散らばっている。サムが紙を開けると、中にはスケボーが入っている。「死にかけていると分かった時、なぜ、みんながこぞってプレゼントをしたがるのか、僕には理解できない。逝っちゃう時に 持って行けないって分かってないんじゃないかな?」(1枚目の写真)。父は、仕事に出かけようとして、スケボーを指し、「その、オモチャで、あのドアの外に出るんじゃないぞ」と強く命じる。父が出て行った後で、母は、「パパの言葉 聞いたでしょ。あのドアはダメだって言ったけど、向こうのドアのことは何も言わなかった」と、優しく言う(2枚目の写真)。そして、別のドアから外に出たサムは、母に助けてもらって、生まれて初めてスケボーを体験をする(3枚目の写真)。

そして、その日の午後、サムが日記にスケボーの絵を描いていると、窓に小石が投げられる。何事かと、サムが玄関を開けると、そこには、笑顔のケイリンが立っていた。そして、「サム、行きましょ」と言う。「どこへ?」。「宇宙船まで。あなたに見せたいの」。「フェリックスがそう言ったの?」。「サム。質問はなし。行くわよ」。サムは、防寒具を着て 一緒に家を出る。「夢か現実か分からなかったけど、確かめる気にはなれなかった」。2人は恋人同士のように、揃って歩いて行く(1枚目の写真)。そして、海岸に沿った荒れ地の中まで来ると、遂に “宇宙船” が見える(3枚目の写真)。それは、1882年に造られたHerd Groyne灯台だった(4枚目の写真)。この灯台の紹介サイトには 「1940年代のSF映画の宇宙船に似た」と書かれている。

ケイリンとサムは、階段を登って灯台の中に入ると、ケイリンが 木の扉を開けてガラスのはまっていない窓を開ける(1枚目の写真・左)。辺りは暗くなっている。これ以後のシーンは、窓の外側から撮影したシーン。DVDのメイキングによれば、風が強く足場を組んでの撮影が困難だったので、スタジオ内に簡単なセットを作って撮影したとある(1枚目の写真・右)。そして、その場面。ケイリンは、「リストにあった望みはすべて叶ったの?」と訊く。サムは、「もう一度したいのが1つあるんだ」(2枚目の写真)と言ったあとで、「僕が逝っても、時々思い出してくれる?」と訊く。「もっと、いいことしてあげる。あなたに最後にキスした場所に、天国からの木〔Trees of Heaven、和名:ニワウルシ〕を植えるわ」。「天国からの木?」。「コンクリートのひび割れにも育つ花」〔国立環境研究所の 「侵入生物データベース」 には、「河川敷,空き地等にパイオニア樹種として侵入する.さらに,耐陰性も持つとされ,大気汚染にも強い.種子は良く発芽する」と書かれている〕。フェリックスの葬儀の時にキスしてもらったのは教会の外の野原だったので、コンクリートはない。サムが窓から下を見ると、灯台は河口の先端にあるので、周囲はコンクリートで固められている。ケイリンは頭を上げたサムに3度目のキスをする(3枚目の写真)。そして、2人して、星空を見上げる(4枚目の写真)〔「宇宙船に乗って星を見る」が叶う〕

2人は、歩いてサムの家まで戻る。玄関の手前で、ケイリンは 「バイ」と言い、サムも 「バイ」と応じる(1枚目の写真)。自分の部屋に戻ったサムがブラインドの隙間からケイリンを見ていると、ケイリンが振り返って優しく微笑んだので(2枚目の写真)、サムも相好を崩す(3枚目の写真)。儚(はかな)くも素敵な恋の物語だ。

サムの家を、久し振りにアニーが訪れる。そして、サムに、「あなたの本用に、面白い事実を教えてあげる。人々は、謝礼をもらわない時の方が、たくさん献血してくれるのよ。どうしてかしらね?」と言う。サムは黙ったまま。父は、サム宛に送られてきたカードを開け、中を見て、それを母と娘に見せ、さらにそれをアニーが嬉しそうに見る(1枚目の写真)。「いろんな人が僕にカードを送ってくれたけど、興味は湧かなかった。僕は、ママ、パパ、エラ、アニーだけを見ていた。4人を頭にしまい込み、思い出として残しておくために」(2枚目の写真)。

今回、眠った時、僕は夢を見た。ママとパパのベッドにいる夢だった。長いこと、両親のベッドで寝たことなんかなかった」(1枚目の写真)「両親は、僕の病気がひどかった時、そこで眠らせてくれたが、今はもう病気じゃなかった」。そして、目が覚める。サムは、ぐったりとして、父の隣で横になっている(2枚目の写真)。死期は近い。眠っていたサムが目を開けたので、父が 「よお」と声をかける。「僕、ここで何してるの?」。父は、サムの額に手を当てると 「熱が高い」と言う。母は、サムの右手をしっかりと握っている(3枚目の写真)。父は、サムの顔をじっと見て 「愛してるぞ」と言う。「分ってるよ」。それを聞いて、父は嬉しそうにほほ笑む。サムは、母の顔をじっと見るが、母は悲しくて、笑顔の裏で泣いている。父がサムの頭を撫でると、サムの目が再び閉じて行く。

そして、ビデオ録画。カメラの前に座っているのは、日記を持った父、それに母(1枚目の写真)。父は、日記を見ながら 「サムは、4月4日の朝5時頃亡くなった。サムの死は、A)平和だった。A)家だった。A)家族全員で見守った。C)天気はまあまあ…」。それだけ言うと、日記を閉じ、「サムは眠ったまま静かに死んだ。痛みはなかった」と付け加え、涙を拭う。すると、画面は、昔撮ったサムとフェリックスの映像に変わる。サム:「死んだら、起きて欲しいこと」。フェリックス:「葬儀では、アラビアの歌を演奏して欲しい… クラシックな音楽なんかやめて」。サム:「僕の葬式では、楽しみたいから、黒い喪服なんか止めて欲しいな」「このビデオを見たり 本を読みたい人は誰でもどうぞ」。フェリックス:「僕のものは、何でも持って行って構わない。もうここにいる積りはないから、要らないんだ」。サム:「僕は、誰にも悲しんで欲しくない。僕のことを思った時 ただ悲しいんなら、僕をどんな風に覚えているつもり? でも、僕のこと、忘れちゃうなんてしないよね? 時々、思い出してくれなくちゃ」。最後に、映像の左上に、「サムとフェリックス」の文字が入り、サムの笑顔に煉瓦のような模様がうっすらと見えてくる(2枚目の写真、黄色の点線の四角の枠)。

2人の姿が薄れ、代わりに煉瓦に描かれた2人の絵に変わる。「サムとフェリックス」の文字は変わらない。その壁の前に、左側からケイリンが入ってくる(1枚目の写真、黄色の点線の枠は維持)。壁を横切った先にあったのは、フルーツと花の店。ケイリンは、店の入口に掲げてあった「天国の木〔ニワウルシ〕」の種を1袋買う(2枚目の写真、矢印)。そして、灯台まで歩いて行くと、窓を開けて、袋から種を取り出すと(3枚目の写真)、窓から蒔く。

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